2026.10.14

大阪で起こった、濁り酒から清酒への転換。

先日、大阪メトロ谷町四丁目駅から少し歩いたところにある、大阪歴史博物館を家族で訪れました。

妻は大河ドラマが好きなので、ちょうどその時開催されていた、NHK大河ドラマ特別展「豊臣兄弟!」を見学。
私は常設展も面白いということを、飲み屋で一緒になった方から聞いていたので、息子と2人で常設展へ足を運びました。

展示は、大阪が古代から近代までどんな変化を遂げてきたのかを、順を追って紹介。
この大阪歴史博物館からもすぐそば、上町台地の上に難波宮が置かれていたことなど、政治のことから暮らしのことまでボリュームもあり、1つ1つが興味深いもの。

大阪歴史博物館が面白いと言ってくれた方が、「本気出したら1日ではたらん」と言っていたのも納得でした。

歩みを進めていると、濁り酒から清酒への転換にからんだ展示にも出会いました。

三和銀行(現在/三菱UFJ銀行)の祖である鴻池財閥が、どのように発展してきたかを紹介する中で、16世紀末、鴻池家が摂津国-鴻池村(現・兵庫県伊丹市鴻池)で清酒の醸造を始めたことにある。といった内容。

酒造りから財閥にまで成り上がっていくのですから、こりゃ凄い。

財閥ですからね、財閥。

もちろん、理由なく成り上がれる訳ではありません。

諸説あるようですが、鴻池家は、他に先駆けて、木灰もしくは木炭を使って濾過をして澄んだお酒(清酒)を造っていたよう。

今の酒造りにも取り入れられている、濾過という当時では先進的な技術を使っていたのです。

これが輸送にも耐えられる品質を生み出し、結果、大量消費地である江戸でも大人気に。

そして、酒造の拡大と共に、海運、両替商にも手を広げることで、より大きく成長。
満を持して財閥に、いったという流れ。

なんか夢がありますね。

ちなみにですが、Wikipediaよると、
『摂陽落穂集』など多数の文献にある清酒の伝承によれば、「鴻池山中屋の店で叱られた手代が、腹癒せに酒樽にかまどの灰を投げ込んだために、濁り酒が豊潤な清酒になった」というものである。とのこと。

手代が腹いせに灰を入れたかどうかの真偽は分からないですが、
もし本当ならば、完全に災い転じて福となす状態。

また、その変化を見逃さず、灰が入ると酒が澄むという現象を発展させて、濾過技術にまで持っていったのは、流石というしかありません。

この鴻池家による清酒醸造は1600年に誕生。
ちょうど関ヶ原の戦いの年にあたります。

冒頭で妻が大河ドラマが好きと書きましたが、
たいてい私も一緒に見てドラマを楽しんでいます。

ドラマの中では、武将たちは何かにつけて酒を飲むのですが、気になるのは、その酒が白く濁っているか濁っていないか。

頭の中で、清酒の誕生が関ヶ原合戦の年。
この時代なら、ほぼ濁り酒しかないはず、今飲んでいる武将はまだ身分が低い時なので、「濁り酒で正解、リアル」みたいな感じで、勝手に酒の歴史判定員としてジャッジをくだして遊んでおります。

さて余談はさておき、当店で、伊丹・清酒のキーワードで上がってくるお酒と言えば、呉春。

機会があれば、濁りのない清酒の裏にある、大阪の歴史やエピソードも一緒に楽しんでみてはいかがでしょうか。