2022.2.18
- 【裏話と、】
【黒木本店/宮崎県】酒高蔵誕生の、原点のハナシ。
「社長が、宮崎県まで自転車を漕いだのは何歳のお話でしたか?」
私はこの話が好きで、時々社長にこのお話をお聞きします。
「23歳の頃やなあ。」と社長はおっしゃります。
この焼酎蔵さんと知り合うことがなければ、
今の私たちはなかったと感じる出来事です。
社長23歳の秋、大阪から宮崎県の高鍋まで
自転車で訪ねました。それは、なんの伝も無く、販売力もないけど
「酒屋の情熱」を見てもらおうと思ったからです。
今考えると、本当は酒屋をやっていこうとする自身の
気持ちを自分で確認するためだったかも知れません。
1週間かけて約900キロの道のりを走破した時に、
黒木社長にいただいた言葉は今でも忘れられません。
「大阪から自転車で来るような、アホなやつは初めて見たよ。
いっぱい悩んだ末の行動やろ。気持ちは十分に伝わったから、一緒に頑張ろう」
黒木社長と工場長の角上さんの前で、思いっきり涙を流したそうです。
今でも、黒木社長は「上田君(弊社社長)、出る杭になれ。
打たれても、もっともっと出る杭になれ。そして、まっすぐに伸びる杭になれ。
出過ぎてしまえば、誰も打てなくなるよ。」と言ってくれます。
黒木本店の焼酎は、酒高蔵の根本となるもの、
そして永遠のテーマでもあり続けます。
●黒木本店 / 宮崎県